25時の海

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2026.05.17

朝の3時とか4時頃でも寒すぎず、早めに空がほんのり明るくなるような季節になった。こうして季節の移り変わりに気がつける自分を見つけるたび、ほっとする。そんなのどうでもいいと思ってしまう自分になりたくないから。昨日とうとう掛け布団をしまい、毛布と薄いブランケットを出した。薄いブランケットは使い込んだタオルみたいな質感があって、くるまってると安心する。母親曰く、わたしも妹も姉妹揃ってこのブランケットが好きらしい。みんなにも1つはお気に入りの寝具があるのかな。衣替えも終わらせたが、毎年自分の服が多いのか少ないのかよくわからなくなる。何も着るものがないようにも、ありふれているようにも思える。
Twitterに無傷さんという方がいて、わたしはこの方を大学から(一回わたし自身のアカウントが消えてしまったけれど)フォローしている。無傷さんの言葉の使い方が好き。ずっと追っているわけではないが、自分が泣きそうな時やつらい時、無傷さんがよくツイートする「泣かないで無傷」というフレーズが心の中に出てくる。無傷さんも、そのほかいろんな人も、心の中に溜め込んだ様々な思いを抱えて生きているのかもしれない、いやきっとそうだ、と思えることが自分の悲しさのトゲをひとつ減らしてくれるような気がする。気持ちというはかれないものでさえ、わたしは誰かと同じでないと気が済まないのか。そんな自分にも嫌気がさす。泣かないで、落ち込まないでと自分に言い聞かせる日々が続くことはもう諦めがついた。性格上仕方がない。でもこんな暑くて晴天の日にそんな気持ちだと、余計やるせなくなる。自分や人と向き合っているつもりが、その結果こんな落ち込んでしまう日が度々来るならそれは無駄なことですか。自分の姿勢が間違ってないと思って生きているけど、愚かな思い込みですか、みんなはどうやっていろんなことと向き合ってるの。見つけてしまった違和感を、どこまで無視していいと思えるの。どうして自分はこんなに泣いてしまうの。吉祥寺駅は人で溢れかえっている。こんなにもたくさんの人がいるんだから、わたしが知りたい答えを知っている人が1人や2人はいたっておかしくない。トントン、と肩を叩かれ振り返ると、おじいさんが立っていて「君の悩みはつまらないよ。まずね…」と言われたりしないかな。解決してくれる誰か、は自分の中にしか存在しないことも、ほんとはわかってる。

2026.03.01

◼︎考えても考えても、人を好きになる、もしくは愛することは信じることだとつくづく思う。ただ、信じるということは、やはり気力も根気も必要で、どうしても生じてしまう少しの不安も抱えて過ごすということになる。抱えるというか、自分の中から出てくる揺らぎよりも目の前の相手を信用することに努めようとすることが大変だと感じる。しかもその不安は自分由来のものだから、話して解決するというよりは自らで折り合いをつけることができるまで見つめ続けるしかないようなもので、結果的に相手を信じるということは自分と向き合うことになる。それが本当に難しい。もしかするとわたしだけでなくみんなも心のどこかでおんなじ気持ちを抱えているんだろうか。周りの友人も何かしら不安や悩みを抱えているのをみると、そもそもこの感情こそが人を大切に思う過程の産物なんだろうか。だとしたら、この感情があながち間違いではないとしたら、少し報われるような気持ちになる。ひとりではわからないことばかり。いつでも存在しない(かもしれない)正解を欲してしまうのは悪い癖だと思う。ただ、ありがたいことに1日の大半は幸福感や、やさしい気持ちに包まれて過ごしている。総じてこの考えに至ったわけではなく、白い紙に落ちた黒いインクの一滴をわざわざ拾い上げてじっくり眺めているようなことです。闇の中でこそ光は輝くし、逆も然りということを痛感する日々。大事にしたいから、よく見つめていきたい。

 

◼︎ケーキを作ることがこんなに楽しいと思わなかった。ある日から突然、甘いものを作る喜びを感じるようになった。オーブンがあればもっといろんな種類を作れるんだろうけど、悲しいことにうちにはないので炊飯器で全部作っている。タルトタタン風と、ガトーショコラと、にんじんケーキを作った。他になにが作れるかな。あとはアイスを買い溜める楽しみも初めて知った。これまではアイスをわざわざ自分で買おうとは思わなかったけど、小腹が空いた時に食べるアイスは冬でも美味しいんだね。まだまだ知らないことばかり、新しい感情を知ると世界が広がる気持ちになる。

 

◼︎イランとアメリカ、イスラエル間の戦争の犠牲者の残忍な画像や動画がSNSで流れてくるようになった。同じタイムラインに歌舞伎町でODをして倒れてる女の子の写真も流れてきた。わたしはなにを考えてどういう風に受け止めるべきか、今はまだわからない。自分の生活と向き合うことしかできない。不甲斐ない。

 

◼︎季節の変わり目は夏のにおいがする、と歌詞にある曲はなんだっけ。思い出せない。春の匂いがする、その中に夏のにおいも探す。高揚感で胸がいっぱい。

 

◼︎今の目下の目標は、夏にだけ現れる空が真っ青に染まる夕方と夜の間の時間、あの時間に特定の人と一緒に散歩をしたい。したいというか、絶対にすると決めている。ただその時間が訪れたとして、わたしは特にその人に伝えることはなく、何食わぬ顔で過ごすだろう。待ち望んだ瞬間だとしても。なぜあの青い時間でなくてはならなくて、散歩をすることにどんな意味があるのか、わたしだけが理解していればいいことだから。

2026.02.14

隣で眠る人の寝顔を見る。呼吸によって身体が一定間隔で上下している。この人は今、わたしとは異なるリズムで世界に存在している。そう思うと途端に自分と全く異なる生命だということを意識する。自らの眠りの範囲に他人がいることの不思議さ。薄いまぶたひとつでさえ、興味深い。自分にとって、同じ場所で睡眠を取るということは相手が誰であれ深く信頼している証拠だと思う。お酒を飲んだ場とか、旅行先でも少しでも緊張していると絶対に眠れない。眠るという行為はとても無防備なことだから。本能的な部分をあまり人に見せたくないという気持ちが強い。例えば食事も、わたしは親しくない人とは可能な限り席を共にしたくない。この人なら安心できると感じた理由があって、それは一度の直感ではなく長い時間を共有するうちに迎えた結果で、だけどそういった理屈を一切意識せず理由を考えることなく無意識のうちに距離を縮めてきた。今、その軌跡を辿っている。友達に対しても、こういうことを考えてしまう。好きだから、仲が良いからで済ませて良いはずのことをぐるぐる考える。
寝息を聞いていると、東京事変の「夢のあと」を思い出す。なにか夢を見ているのだろうか、それとも深く眠れているだろうか。それを知ることができるのは、何時間もあとの話。この時間が存在していたことは、わたしだけの記憶。

この人にとって、わたしの中での眠りに近い許しの行為は何なのだろうか。それをわたしは享受できているんだろうか。何もかもはわからなくて良い。ただ、そうであって欲しいと強く思う。

 

https://youtu.be/DnlMN1-F3aA?si=TEgH5qVw3SEk6eOJ:夢のあと

 

2026.02.08

土曜日に期日前投票に行った。毎回行っているけど、わたしは政治には詳しくない。調べても調べてもいまいち社会の仕組みがわからない。これだけは嫌、というのを極力やらなさそうなところに投票している。恥ずかしい話です。選挙が行われるたびに毎回戦争というワードを耳にする。今回は特に見聞きする機会が多かった。小学校の頃、終戦記念日は夏休み中でも登校日となっていて、戦争についていろいろ教えてくれた。沖縄や広島長崎の話など、どの話も怖かった。何より怖かったのは、担任の先生が読みたい人だけ読んで、と教室の後ろに置いていた被爆地や被爆者の写真集だった。顔と体に黒い斑点(死の斑点と呼ばれていたそう)がでている男の人が、天井を見つめて口を開けていた。その写真が撮られた数時間後に亡くなられたらしい。あの表情を忘れたことはない。その夜は怖くて悲しくて、久しぶりに母親の布団で寝た。戦争の足音は近づいてくるまで聞こえないという。わたしの大好きな人が、誰かに殺されたり誰かを殺してしまうような未来がくる可能性が少しでもあるという事実。それを今回は特に意識してしまった。あんなにやさしい手が、銃を握ったり誰かを殺したりすることに使われるなんて絶対あってはならないこと。自分も、家族も友達も、みんなにそういう可能性があって、もしそうなったらこれまで通りなんて生きていけず、経験したことのない悲しみや絶望が日々を覆うんだろう。実際に今そんな日々の中生きている人たちもいる。そう思うとすごくつらい。簡単に命を奪ったり奪われたりしていい理由なんてどこにも無いよね。なんでそんな当たり前のことがみんなの共通認識じゃないんだろう。国とか血とか、肌の色ってそんなに大事?長い人類の歴史の中で、どこかの国でずっと争いが起こり続けているということは、きっとそんな単純なことじゃないのかな。もしくは人間が馬鹿すぎるだけなのかな。世界は難しい。たくさん調べて1番戦争から遠い党に入れました。無駄なことなんてないはずと信じて。周りの人たちみんなが安全に生活できる世界が良い。平和であって欲しい。

2026.01.24

久しぶりに一人暮らしをしている町に帰った。皮膚科へ行く。先生はいつもやさしくて、薬を毎晩塗るだけなのに良くがんばってますねと毎回言ってくれる。他愛もないリップサービスだとしても、そうして褒められるのは気分が良い。何歳になってもきっとうれしいんだろうな。帰り道に甘いものを食べたい気分になり、タルトタタンを作ろうと思い立ち材料を買うついでにふらふら散歩する。やっぱり人の家を見るのが好き、庭は特に良い。葉っぱに囲まれてる石や、庭に面してる窓から見える眠る犬たち。冬は椿が綺麗で、青い空によく似合う。住宅街を歩く楽しさは定期的に歩かないと忘れてしまう。この建物の中には人がいて、自分と同じような、もしくは全く異なる悩みや考えを抱えて生きている…と思うと世界が広がる。3人くらいにインタビューしてみたい、今悩んでることとか。1番だと重いから、5番目くらいの悩み。西陽を浴びて歩く。平日は朝日は浴びることはできても、西陽は会社の窓からしか見ることができないからすごくうれしい。透明の板1枚あるのと無いのでは感じ方が大きく異なる。やっぱり綺麗なオレンジ色なんだな。この街が好きだと改めて思う。近所の神社にお参りをする。お参りする時はちゃんと住所もちゃんと伝える。その方が神様に祈りが届くって本当?いつも郵便番号から伝えてる。ずっと見守っていてください、わたしちゃんと頑張るので。頑張るのなんて当たり前か、神を前にするといつにも増してエゴが気になる。家に帰る。久しぶりの部屋はやっぱり落ち着くし自分が1番好きな場所だなと思う。手放したくない。こんな良い空間なのにベッドでずっとダラダラしてしまう。最近カナメストーンにハマっていて、YouTubePodcastを漁りに漁っている。気がついたら2人の声を聞きながら寝ていた。免許をうっかり失効(という単語を先日初めて知った)してしまったので月曜日に再発行しに行かなくてはならない。コンビニでパスポート用に撮った証明写真をサイズを変えてプリントする。自分の顔って何回見ても不思議に見える。ずっとこの顔で生きるんだな〜とぼんやり思う。良い悪いの話ではなくて、ただ度々そう思う。帰ってまた眠る。最近はいろんなことが起こりすぎて、心のキャパが表面張力で耐えてる水のように感じることもあるけど、同時に生きてることを実感する。うれしいことと嫌なこと、悲しいこと、それぞれのバランスは日で異なるしやってくるタイミングも決められるものではないから、ある程度適当にやりたい。大丈夫にならなかったことなどないよ、と人に言われて腑に落ちる。考えてみるとこれまでに死ぬほど悩んできたことも、結局今となっては遠い過去の話になっている。こういうどこかで聞いたような言葉も、相手を信じているほど胸に真っ直ぐ届く。言葉の純度にこんなにも関係値が大きく影響していることを改めて知る。暗いことばかり考えないで、こんな未来がくると良いな、くらいの淡い期待を抱いても良いのかも。そこまで怯えなくてもいいのかも。まだまだ終わらないけど今年の冬は去年よりずっと良い。だから春も夏も楽しみ、とりあえずは買った材料でタルトタタンを作ることが1番楽しみ。

2025.11.05

物を探していて、探しているものがたくさん置いてあり自由に取ってもいいだろうと思われるコーナーを見つけた。一緒に探してくれていた人に、取ったら怒られないかな、と言うとその子は「一緒に盗んじゃいましょうか」と言った。なんとなく、だけどそれがうれしくて楽しくて2人で盗んだ。その一言が、ただの物を取る行為をワクワクする体験に変えた。そういう瞬間、本当にふとした出来事に、きらめきを感じる価値観で生きている。いつだって自分の外に何かを探しているような気がするけど、それを良いと感じるのは自分なので、結局は自らの中に見つけられるものなのかな。それが何と呼ばれるものなのか、上手く言葉にできないけどわたしにとっては大事なもの。大事にするほど、悲しくなる瞬間が浮き彫りになるもの。

 

いつか何もかも全てが終わる、とよく思う。自分が好きなもの何だって、いずれわたしは楽しめなくなる。場所も人も、自分もいつかは消える。そう思うと、不安も悩みも自分の存在でさえどうでも良くなる。まだこの終わりを見据えて安心する方法が強く根付いている。思春期から抜け出せないまま大人になった。まだここにいる。それが良いことか、悪いことかわからない。自分との距離が近すぎる。好きな写真家の作品に「近すぎて見えない」という文言が添えられていたことを思い出す。自分は本当は何も見えてはいないのかもしれない。全てに理由はあっても意味などなく、意味を見出す努力ができるか、気持ちが芽生えるかどうかで判断する。大人になり様々な嫌な思いを経験し、ある程度のことは現象/事象として捉えるようになった。変数と定数。みんなもともとそうしてた?だとしたら、わたしはやっと追いついた。そうして折り合いをつける術を学んだからこそ、乾いたラインを超えてくる出来事やもの・人に、ちゃんと向き合いたいと思う。

 

冬が来る。去年の冬のことをあまり思い出せない。写真を見返すと、どんな気持ちで過ごして誰を好きだったかを少し思い出した。よく体調を崩していたし、よく泣いていた。そのまま春になり、好きな音楽がなにも聴けなくなった。だけどそのとき自分が向き合った人と、今仲良くやれている。日々を捨て去るような感覚も、今となっては無駄ではなかったと思う。こぼしたものでも、後から拾えるものは意外と多い。全ては時間の中に生きているからだと思う。夏に石垣島へ行ったことは正解だった。また音楽を聴くようになったし、なにより自由だった。豊かな自然に孤独が包まれるような気がした。旅行先ならではの刹那的な人との出会いや触れ合いも心を潤わせた。本当は1人でどこへでも行ける。いつでも本気でそう思ってる。そう思いながら、同じ場所に留まり続け、同じ人たちをずっと大事にしたいと思っている。

 

https://youtu.be/ED322cpspko?si=WFaEppWXaOJKMIx_

夢日記 2025.09.20

引っ越すことになり、第一候補の物件を見に行くことにした。その建物にわたしは夢中で、どうしても住みたかったけど、唯一の懸念点は近くに川と森があり暗くなると建物の反対側が真っ暗闇になることだった。しかも、建物の入り口は一度川に降りて砂利の道を少し歩き、階段を登ったところにしかない。川が氾濫した際に水没を防ぐためか建物には東京タワーのように四本の足がついている。真っ直ぐではなくクネクネしていた。その上に、利き手と反対の手で四角形を書いたような形が乗っかっていて、全てが銀色だった。建物から漏れる灯りはオレンジ色なので、まるで宇宙船のようだった。オーナーの人がそろそろここを貸しに出しても良いと言っていて、74000円で借りられるらしい。部屋の中はとても綺麗なマンションのようで、変なのは見た目と立地だけだった。外が暗すぎて、部屋の中で電気をつけると窓に自分が映る。水辺の近くに住まない方が良いと教えてくれた両親も、この建物のことをなぜかとても勧めていて「絶対引っ越すべきだ」と言っていた。とりあえず最寄りの駅から歩いてみたが、街自体が街灯が少ないためなんとなく暗い。道の途中に小学校があり、結構大きい学校なので夜に見ると怖かった。プールがあり、今時珍しく柵などで覆われていなかったので歩道から見えた。水が真っ黒だった。歩いて10分もかからずに川へ降りる階段に着いたので、駅からは近いんだなと感じた。問題は、街がある反対側の川と森の暗さだった。とりあえずどれくらいの規模の自然なのか、空を飛んで確認することにした。月が出ていて明るいはずなのに、森の影で建物は暗かった。空に上がってみると、果てしなく広い森が見えた。飛んでも飛んでも続いていく。まるでアマゾンのジャングルみたいだった。だけどこうして夜に空を散歩できるのなら、あの建物に住むことも悪くはないのかも、と風を感じながら思った。